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ふくろうの筆箱

不思議・妖怪・幽霊系の短編小説

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歌い手と踊り手

それは大きな大きな木だった。
太く立派な幹と、ごつごつとした木肌は
随分と長い間この地に根を下ろしていたことを示していた。

いくつにも分かれた枝は一つ一つが長く、電線の上まで伸びている。
そこから広がった青々とした葉は電線を覆い、日の光を遮って
きらきらとした木漏れ日を地面に落としていた。







風が吹き、木が揺れる。
その瞬間、葉擦れの音が世界を支配した。
時に激しく、時に優しく、木は揺れ、ざわざわと歌う。
その歌に気づいた木漏れ日たちが、静かに、ゆらゆらと踊り出した。

ざわざわ。
ゆらゆら。

光と音の、美しいハーモニー。
天然のミュージカルは優しく物語を展開させ
落ちてくる葉っぱは最高の演出となる。
私は心の中で、惜しみない拍手を送った。

散歩の中で不意に見つけた、自然の音楽。
彼らの優しい歌声は
ウォークマンでは決して聴けないものなのだ。

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閉じ込めた秘密基地

懐かしい写真を見つけた。
故郷の私の家を出てすぐのところにあった、田舎道を撮ったものだ。
舗装された道を脇に入ると、長い砂利道になる。その向こうは一面の畑が広がっていた。
小さい頃は、この辺りの鬱蒼とした林のなかに秘密基地などを作って遊んだものだ。
そしていつもいつも、この畑の持ち主に見つかっては、叱られていた。


私はこの景色が好きだった。
青々とした木々の隙間に木漏れ日が縫い目を作り、風が吹くたびにきらきらと光って揺れていた。
木々が揺れ、ざわざわと歌い出す。その歌に耳を傾けながら、ほんのりと香る花水木に酔うのが好きだった。


だから、そんな素敵な場所に、マンションが建つと聞いた時はひどくショックだった。
あの懐かしくて優しい場所がなくなってしまう。
まるで、子どもの頃の私がいなくなってしまうかのような、寂しくて切ない感覚になった。


だから、私はそれを閉じ込めることにした。
父のカメラを借りて、ファインダーの中に、子どもの頃の私を閉じ込めた。
それがこの写真だ。


今はもう、この景色は見ることが出来ない。
灰色の大きなマンションと、大きな駐車場が出来てしまっている。


切ないことだけれど、この写真の光景は私の中で生きている。
きっと子どもの頃の私は未だに、この写真の中で秘密基地でも作っているのだろう。

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その子は私だった

祖母は人形作りが趣味だった。
フェルトで出来たふわふわとしたものや、綿を布でくるんだものなど
たまの連休に家族で遊びに行ったときに見せてもらったのだけれど
それはそれは感心するものだった。

その祖母が亡くなった時に不意に思い出したのが
小さなころ、私をモデルにした人形があった気がしたのだ。
それが今どこにあるかはわからなかったのだが
その人形が存在することだけは
はっきりと思い出せたのだった。





それから何年か経ったある日
父から聞いた。

いつもリビングに飾ってあった、優しい表情のこの人形。
この人形こそが
私だったのだ。

気づくはずもない。似てないのだもの。
私はこんなに優しい顔はしていないし。こんな服も着ない。
というより
この人形のその表情は、いつもにこにことしていた祖母を連想させるものがあった。

それからというもの、私はその子の写真をプロフィール写真に使うことが多くなった。

この子のように優しい人でありたい。
この子のようにいつも、上品に笑っていたい。
そんな思いを込めて。
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私と小川と池と鯉。

道を一つはずれると、小さな川が流れていた。
その道は真ん中に小さな小川が流れていて
その脇には趣のある日本家屋が、建ち並んでいた。
思わず私はカメラを持つ。

この小川を主人公にした写真が撮りたいと、強く思ったのだ。
パシャリ



綺麗な小川だ
よく見ると小さな魚が泳いでいる。
九州、島原というと湧き水が有名だけれど、この小川もそうなのだろうか。

脇の日本家屋は『武家屋敷』といって
地元では有名な観光スポットらしい。

中に入ると、鯉の泳いでいる大きな池があって
その脇に甘味どころがあった。

今の日本、こういう場所は珍しい。
私はそこで『かんざらし』なる甘い甘味を堪能した後
鯉の餌を買った。

池のほとりで鯉に餌をあげながら、暇な時間を楽しむ。
たまには、こういう時間も悪くないものだ。


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夕陽の中にあなたがいる

人を待つ時間というのは、なかなか暇なものだ。
だが、その相手が恋しい相手だとしたら、その時間の持つ意味は少し変わってくる。
退屈なはずの時間でさえ、もうすぐその人に会えると思うと
愛おしく思えたりもする。



私は駅の改札の前で彼女を待っていた。
電車が到着するたびに、改札の向こうをきょろきょろと見てしまう私は
端から見たら、情けなく映るのだろうか。

時刻は夕刻、窓の外には美しい夕陽が明日に向かって歩いていた。





もう少しで、彼女が到着するはずだ。私は揚々とそれを待つ。
きっとこの幸せな時間は何年も後に思い出すのだ。

その時に隣にいるのは、誰なのだろうか。
私は夕陽の中に問いかけてみた。


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